“いいね”が欲しくて恋愛してる?Z世代の「見せるための恋愛」が虚しくなるワケ

【この記事はこんな方に向けて書いています】

  • 恋人との時間をSNSに投稿することに、少し疲れを感じている方
  • 周りのキラキラした恋愛投稿を見て、焦ったり虚しくなったりする方
  • “いいね”の数が気になって、純粋に恋愛を楽しめていないと感じる方
  • SNS時代の新しい恋愛の形について、深く考えてみたい方

おしゃれなカフェでのツーショット、高級ホテルでの記念日サプライズ、ブランド物のプレゼント…。InstagramやTikTokを開けば、キラキラしたカップルたちの「幸せな瞬間」が溢れかえっているよね。それを見て「いいな〜」って憧れるし、自分も彼氏や彼女ができたら、そんな素敵な投稿をしてみたいって思う気持ち、すごくよくわかる。

でも、ふとした瞬間に思わない?「この投稿、誰のためにやってるんだっけ…」って。“いいね”の数やフォロワーからのコメントに一喜一憂して、なんだか恋愛そのものより、SNSでの評価が気になって疲れちゃう。この記事では、そんなZ世代の「見せるための恋愛」が、なぜか虚しくなってしまう理由を深掘りしていくよ。本当の幸せって、なんだろう? 一緒に考えてみよう。

恋愛の主役が「みんなの視線」にすり替わるから

恋愛の主役は、言うまでもなくカップルである「自分たち」のはず。でも、SNSに投稿することが前提になると、いつの間にか主役が「フォロワー」や「不特定多数の第三者」の視線にすり替わってしまうんだ。

「この写真を載せたら、みんな何て言うかな?」「前の投稿より“いいね”が少なかったらどうしよう…」。そんなことばかり考えていると、二人の間に流れる自然な感情や空気よりも、第三者からの評価が行動基準になってしまう。恋人の素敵なところを自分が一番わかっていればいいはずなのに、みんなからの「お似合いだね!」という言葉がないと、その価値を信じられなくなる。これって、すごく悲しいことだと思わない?

「映えるかどうか」がデートの目的になっちゃうから

「次のデート、どこ行く?」その会話の基準が、「二人で何をしたいか」じゃなくて「どこなら“映える”写真が撮れるか」になってない? 話題のカフェ、流行りのスポット…。もちろん、そういう場所に行くのが楽しいのは大前提。でも、それが目的化しちゃうと、デートの中身が空っぽになりがち。

食事を目の前にしても、まずは写真撮影タイム。納得いくまで何枚も撮って、気づけば料理は冷めてる。綺麗な景色を見ても、「どういう構図で撮るか」に必死で、自分の目でその感動を味わうことを忘れてる。総務省の調査では10代・20代のSNS利用率は9割超え。生活の一部だからこそ、恋愛もSNSに引っ張られやすいけど、思い出作りのためのデートが、いつしか投稿用の素材作りのための作業になってしまったら、虚しさが残るだけだよね。

「いいね」の数が愛情の証明だと勘違いしちゃうから

記念日の投稿に、たくさんの“いいね”がつく。友達から「愛されてるね〜!」なんてコメントが来る。その瞬間は、すごく満たされる気持ちになるよね。でも、これってすごく危険な罠なんだ。

なぜなら、“いいね”やコメントの数は、二人の愛情の深さとは全く関係ないから。投稿がバズったからといって、二人の絆が深まるわけじゃない。逆に、あまり反応がなくても、二人が深く愛し合っていることだってある。それなのに、SNSでの反応を愛情のバロメーターにしてしまうと、数字が少ないだけで「私たち、もしかして上手くいってないのかな?」なんて、ありもしない不安に駆られてしまう。他人の評価でしか、自分の恋愛の価値を測れなくなってしまうんだ。

別れた後、SNS上の「幸せな過去」が自分を苦しめるから

恋愛には、残念ながら終わりが来ることもある。その時、「見せるための恋愛」を続けてきた人ほど、深く傷つくことになるんだ。自分のアカウントには、消せない「幸せだった頃の自分たち」の記録が、化石のように残り続ける。

楽しかった思い出のはずが、デジタルタトゥーとなって自分を苦しめる。新しい恋に進もうとしても、過去のキラキラした投稿が目に入ってきて、前に進めなくなる。みんなに見せてきた「幸せなカップル」というイメージがあるからこそ、別れたことをなかなか認められなかったり、周りにどう思われるかを気にしてしまったりする。自分たちだけの思い出なら静かに心にしまっておけるのに、世界中に公開してしまったがために、いつまでも過去に縛られてしまうんだ。

た, カップル

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